宅野コース
所要時間
自動車20分 徒歩2時間10分 合計2時間30分見どころ
石見銀山は大森・銀山地区だけではありません。 銀その他の物資を運んだ街道や港がうまくつながったからこそ、ピーク時で人口20万人とも言われる 一大産業都市として発展したのです。 そのことを史跡から実感するためにも、ぜひ大森町近隣のエリアに足を伸ばしていただきたいと思います。 宅野コースは仁万駅から自動車で海沿いへ移動して周辺を散策する気軽なコース。山陰の港町ならではの風情を味わうこともできます。仁万駅
旧宅野漁協市場
からしま会館
(からしまかいかん)韓島会館は元・宅野小学校の跡地に建てられた地域のコミュニティセンターで、地元の様々な催しに利用されています。
龍善寺
(りゅうぜんじ)龍善寺は、土蔵が立ち並び往時の宅野の賑やかさが偲ばれる市場通りにあります。ご本尊は阿弥陀如来です。 元は真言宗でしたが江戸時代に浄土真宗に改宗しました。建物も文政年間(1818~1830年)の火災後、道向かいから現在地に再建されました。 山号「玉泉山」の掛け軸は貫名海屋の書です。貫名海屋は1778年(安永7年)阿波(徳島県)の生まれで、書家、画家として優れた作品を数多く残しています。石見地方にも龍善寺のほか旧山陰道の峠に建つ井戸碑の書などが残っています。 本堂の梁には鏝絵の扁額が2つ掛かっています。「牡丹に唐獅子」と「龍」で、それぞれ作者の名が記されています。 鏝絵とはもともと左官職人が鏝を用いて漆喰で仕上げた浮き彫りのことで、さらに色漆喰を用いたり彩色したりして絵画のように仕上げたものです。石見地方には寺社に奉納されたり民家の土蔵の壁に施されたりした鏝絵が数多く残っています。
宅野八幡宮
(たくのはちまんぐう)宅野八幡宮は宅野町の氏神です。誉田別命、息長足姫命、足仲彦命が祀られています。縁起書によれば、1394年(応永元年)三代将軍足利義満が、源氏の氏神である宇佐八幡宮を諸国に勧請するよう命じた際の創建と言われます。石見銀山領に関わる御用船の絵馬も数点納められています。毎年10月15日が祭日です。
波啼寺
(はていじ)波啼寺は917年(延喜17年)創建の真言宗(高野山派)の寺院です。本尊は十一面観音菩薩で、「宅野の観音」として知られており、海中から出現したとも、大和の長谷寺からゆずり受けたとも言われています。
井明府報徳碑
(いめいふほうとくひ)山陰道申神地区の頂点、峠に佇む井明府報徳碑は、石見銀山代官井戸平左衛門の石碑です。 三角形の切り取り側面を富士に例え、こごろ石の石柱を雪舟の庭に模し、碑石を鶴亀になぞらえた造りで、宅野の町の長久発展を祈ったと伝えられます。 建立時期は不明ですが、江戸時代末期で石見地方では最も古いと言われています。 石碑表面の「井明府」の文字は幕末の有名な書家、貫名海屋が揮毫したものです。その後、大阪の庭師乾楠松によって周囲の改築が行われました。
伝統芸能伝承館
(でんとうげいのうでんしょうかん)石見の伝統芸能を受け継ぎ後世に伝える活動を行う場として2005年(平成17年)に設置された建造物です。宅野こども神楽の発表などの伝統芸能に関わる催しを随時開催しています。
為山塾
(いさんじゅく)為山塾は、江戸時代の儒学者頼山陽の教えを受けた泉全斉(前泉家)がかつて「為山塾」という名で私塾を開いていた大きな屋敷です。 昭和40年代から空き家となり、老朽化が目立ってきたため、所有者からの提供を受け、地域住民による修繕・清掃作業が進められています。 為山塾では地元の小学校の生徒たちによる社会体験授業などが行われています。