やなしおの道コース
所要時間
約4時間分見どころ
「やなしおの道」は1354年(正平9年)の文書にも記されるほど古い銀山街道です。 毛利・尼子の銀山を巡る戦いでは芸州からの攻路として用いられた道であり、また徳川時代には石見銀山の灰吹銀を大森から尾道へと運ぶ重要なルートでもありました。 「箱茂の松」「十王堂跡」「土橋」「版築工法」など様々な史跡やそれにまつわる伝承が残っていて約7.2kmほどの街道の景色にも恵まれウォーキングには最高の場所です。ガイドからひとこと
石見銀山には鞆ヶ浦街道と温泉津・沖泊街道がありますが、これらは海を利用して銀を運びました。江戸時代になってより安全な陸路輸送ということで、初代奉行である大久保長安が官道として整備しました。尾道ルートとも言われ、その一部としてやなしお道があります。約7.2km尾根道を歩きますが三瓶山の眺望は疲れを癒してくれます。この道は版築工法や史跡としての価値のある一里塚跡、最大の難所であるやなしお坂があります。この坂は標高250m付近から16か所のつづら折りを下ります。あまりにも急な坂が往来する人々や牛馬を苦しめたため、荷役には割増賃金(一人10文)が支払われました。春は山野草、秋は街道筋にきのこが沢山確認できます。四季を通じてウォーキングには最適な街道と言えます。銀山公園
各コースの出発点です。石見銀山ガイドの会の事務所もあります。やなしお道入口
この場所の近くには、米とぎ橋、馬場の前や毛利と尼子の戦った古戦場があります。十王堂跡
周囲を竹林に囲まれているこの場所は銀山街道と石見一宮物部神社に向かう往還との交差点、当時は行き交う人々で賑わっていました。当時この場所には十王と六観音を安置した小堂が建てられていました。現在は、別府八幡宮に保管されています。また、竹林の道は「版築工法」により作られ美しい竹林としてやなしお道のポイントでもあります。七本槇別れ
(しちほんまきわかれ)石見銀山から約11kmの地点。振り返ると大江高山を望むことができます。このあたりは、太古の時代、湖沼であったともいわれています。生活道路が唯一走っています。