仙ノ山コース

仙ノ山往復コース

所要時間

約3時間

見どころ

神屋寿禎による発見伝説の舞台であり、また石見銀山が最も栄えた時代の名残をまざまざと残す“石銀地区”をじっくりと巡るコースです。 仙ノ山の銀山の歴史をじっくりと感じたい方にお勧めです。

ガイドからひとこと

面白いことに、仙ノ山を上り下りするこのコースは、往路と復路で目に映る景観が違います。 コース中一箇所だけ、三瓶山が非常に美しく見える場所があります。 頂上付近の石銀地区では数々の遺跡から『石銀千軒』と謳われた鉱山町のいにしえの有様を思い描くこともできるでしょう。 四季折々の自然に触れながらトレッキングを楽しんでみませんか。

石見銀山世界遺産センター

原田駐車場

本谷入り口の駐車場です。

本谷を登る

(ほんだに)
本谷 本谷は、銀山の歴史にまつわる多くの遺跡が残っています。銀山随一の規模を誇る『大久保間歩』、安原伝兵衛が発見し徳川家康から褒美を授かったという『釜屋間歩』、2003年に発見された『岩盤遺構』などがあります。

大久保間歩

(おおくぼまぶ)
大久保間歩 大久保間歩は、石見銀山の初代奉行である大久保長安の名をとってつけられた間歩です。標高約310mの本谷地区に位置するこの間歩は、江戸時代から明治時代にかけて開発され、その規模は他の間歩に比べて群を抜いています。長安が槍を持ち馬に乗ったまま入ったという伝説があるほどです。

釜屋間歩

(かまやまぶ)
釜屋間歩 釜屋間歩は、安原伝兵衛が発見したと伝えられる間歩です。伝兵衛がある日、観音菩薩によく似た銀の塊を拾いあげ、清水寺に奉納して祈ったところ、観音菩薩が現れて鉱脈を探す手がかりと銀の釜を授ける夢を見、それを元に新鉱脈を発見した—という伝説があります。1603年(慶長8年)、伝兵衛は3600貫(約13.5t)の銀を徳川家康に献上し、その功績により家康から道服を授けられました。

岩盤遺構

(がんばんいこう)
謎の岩盤遺構 2003年の発掘調査で、釜屋間歩に近い斜面から高さ18mの岩盤を三段のテラス状にくりぬいた巨大な遺構が発見されました。その後の調査で、この遺構は17世紀初頭頃を中心に掘り込まれた可能性が高いこと、土を盛って造った平坦な加工段には銀の製錬炉の跡が存在することなどが解明されています。

露頭掘り跡

(ろとうぼりあと)
露頭掘り跡 仙ノ山の頂上付近には、広大な露頭掘りの跡があります。露頭掘りとは、地下に坑道を掘り進むのではなく地表に露出した銀鉱石を削る採掘方法で、この付近の岩を削ると銀含有率の高い鉱石が採れたと言われます。

石銀

(いしがね)
石銀 石銀地区は、仙ノ山(標高537m)の頂上付近にあります。ここは、神屋寿禎が日本海沖から光る山を見つけたという『発見伝説』の舞台であり、戦国時代から江戸時代にかけて銀鉱石の採掘や製錬が盛んに行われた地です。約20ヘクタールの範囲に、坑道や露頭掘りなどの採鉱の跡、住居や精錬所の跡と思われる平坦地や石垣、さらには池や井戸などがあり、当時この地区がひとつの産業都市として機能していたことをうかがわせます。平成8年に行われた発掘調査では、タガネやツルハシなどの採鉱用品、陶磁器や古銭、キセルといった生活用品などが数多く出土されました。

本谷を降りる

原田駐車場

本谷入り口の駐車場です。

石見銀山世界遺産センター